2007年11月13日

「少林寺」に関する歴史と伝承の聞きかじり。

言わずと知れたリー・リンチェイ映画初出演作品、『少林寺』(原題:少林寺)(日本公開1982年)。
1作目の直後に作成された『少林寺2』(原題:少林小子)(日本公開1984年)、そして、その2年後の1986年日本公開『阿羅漢』(原題:南北少林)。
これらを合わせて、「少林寺シリーズ」と呼ばれる事も有ります。
同じ役者も多数出演しており、タイトルのイメージからも、続編、続々編、と思われがちですが…この3作品、特にストーリィ上にはなんの繋がりもありません。
強いて言うなら、全て少林寺がらみのお話、っていうことでしょうか。…あ、『少林寺2』(少林小子)は、お寺自体は出て来なかったなあ…
そんでもって、『新・少林寺伝説』(1994年)、なんて邦題の作品まで有るから余計にややこしい。こっちも、前3作とは、ストーリィ上なんの関係もありません。原題は『洪煕官』、主人公の名前です。

では、この4つの作品について少々御託を並べる前に、「少林寺」というお寺の存在について、少しだけ、おさらいをしておきますね。

まず、映画『少林寺』『阿羅漢』の舞台ともなり、「少林寺」と言われて我々が想像する、あの「少林寺」は、河南省登封市の嵩山に実在するお寺で、嵩山少林寺と呼ばれています。
この寺の創建は大変古く、496年にこの地に跋陀禅師の住寺として寺が建立された、と、魏書に記されており、また「少林寺」と寺の名を改めたのは、随の時代、文帝の勅によるものである、とされています。
随の末期、群雄割拠の時代には、洛陽に都して鄭の皇帝と称した王世充を征討する唐の李世民(後の太宗)に助力して、僧兵を援軍として出兵させ、後に「唐太宗御書碑」にも有る通り、唐から手厚い保護を受ける事になります。
さて、ここまでは、一応、史実。ここから先は、フィクションと史実の狭間を行ったり来たりする、“伝説の”少林寺、です。
武術を極めた少林寺の僧兵は非常に強力で、清の康煕帝の時代には僧兵128名で西魯(チベット、もしくはロシアか?)の軍隊を破り、清朝から褒賞を受け、信頼を得ていました。
ところが雍正帝の時代1735年、少林寺の力を妬み畏れた奸臣による「少林寺に謀反の計あり」との進言から、少林寺は朝廷の軍に攻められ、寺は焼かれ、僧侶は殺害されました。
この殺戮を生き延びた5人の僧侶が後に南派少林拳の始祖となり、「少林五祖」と呼ばれることになる蔡徳忠・方大洪・胡徳帝・馬超興・李式開で、伝説では彼らは朝廷に復讐を誓う秘密結社「天地会」を創設した事になっています。
この少林五祖の他に、雲宗大師・至空和尚の2人も殺戮を逃げ延び、福建省九蓮山に福建少林寺を建立した、とされています。しかしこの福建少林寺については、未だにその存在は確認されておりません。
そしてこの伝説の寺「福建九蓮山少林寺」こそが、その後の南派少林拳の達人達を育んだ母体となり、南派少林拳の「福建九蓮山少林寺」は「南少林寺」、「河南嵩山少林寺」は「北少林寺」と称されることになります。
「嵩山少林寺」で元々修行されていた北派少林拳は、伝承する者が少なく、幻の少林拳と言われていました。
寺院が存在し「少林寺」として名高い嵩山少林寺は北少林寺ですが、その伝える筈の北派少林拳は幻。そして少林拳として隆盛しているのは南派少林拳、しかしその母体となった筈の九蓮山少林寺は幻、と、対の構図が出来ているのは不思議ですね。
さて、この福建九蓮山少林寺で、雲宗大師・至空和尚の弟子となったのが、「少林五老」と呼ばれる白眉道人・馮道徳・至善禅師・五枚尼姑・苗顕の5人でした。
ところが白眉道人と馮道徳は志の違いから少林寺を離れ、少林派と対立する武當派へ移ります。武當派の本拠地は湖北省武當山、道教の聖地ですので、白眉道人には道教の称号である「道人」を使用します。武當派の祖は伝説によると元の時代に武當山で仙境に入った張三豊(太極拳の始祖)であるとされていますが、実際に武當派として成立したのは、明の末期から清の初期と言われています。
一方、至善禅師らは、九蓮山少林寺で、洪煕官や三徳和尚、方世玉、世玉の異母兄弟である孝玉や明玉ら、「少林十虎」と呼ばれる10人の達人を育て上げていました。
1767年、清朝は武當派の助力を得て九蓮山少林寺に攻め込み、この戦で、至善禅師と方世玉は命を落とします。方世玉はこの時まだ20代の若者だったそうです。
少林十虎の一人であった洪煕官はこの後広東省へ逃れ、南派少林拳を更に南へと伝えることになります。
また、少林十虎には数えられていませんが、洪煕官と同じく至善禅師に師事していた陸阿采も広東省広州に逃れ、後に「広東十虎」に名を連ねることになる黄麒英の師となりました。
黄麒英の息子、黄飛鴻は、洪煕官の弟子鐵橋三(父黄麒英と同じく「広東十虎」の一人)の門下生、林福成に師事して“無影脚”を会得し、その後武術の達人としてその名を知らしめる事になります。

と、これが大まかな「少林寺」と「少林拳」の歴史の流れ、なんですが。
勿論、上に記した各々の人物が本当に存在したかどうかは定かではありません。ただ、これらの人物をモチーフにした武侠伝は多く残されています。その中にもしかすると本当のお話も、あるのかも、しれません、よね?
黄飛鴻に関しては、彼の子孫が実際に存在し、資料、写真等も残されていますし、香港映画界武術指導の元祖と言われる劉湛(ラウ・チャン)は、黄飛鴻の弟子であった林世榮の弟子だそうです。

さて、やっと『少林寺』シリーズに話を戻しまして。
それぞれのストーリィ・設定を少林寺の歴史に照らし合わせてみると…
『少林寺』…
史実を踏襲して、李将軍を助け王将軍を倒して、最後には「唐太宗御書碑」まで持って来てますから、間違いなく、唐の始めの少林寺が舞台、ということになりますね。
『少林寺2』…
川を挟んで向かい合う2つの家は、かたや少林派、かたや武當派で、各々の流派が優れている、といがみ合っている、という設定です。
登場人物の衣装や、弁髪ではない髪型等から、時代は明代の末期か清の初期、武當派が興って間もなくの頃のお話だと思われます。
『阿羅漢』…
原題「南北少林」の示す通り、北派少林拳と南派少林拳の両派を取り上げています。北少林寺の若獅子・智北を演じたリンチェイは、この作品の為に、それまで幻と言われていた北派少林拳の数々の技を習得したそうです。時代は清に設定されています。

で。
『新・少林寺伝説』…
これで事態はますますややこしく…(苦)
えーと、ですね、これ、原題は『洪煕官』となっていて、朝廷の焼き討ちにあって一族をことごとく殺されてしまう、というのが物語のとっかかりなんですね。でもって、ラストでは洪煕官は南へと向かうんで、時代としては、九蓮山少林寺が焼き討ちに遭った後のお話、の筈なんですけど…少林寺の焼き討ちの後、逃げ延びる5人の子供の僧の名前が…少林五祖の名前と同じなんですねー(笑)
しかも、敵役の名前は馬寧兒、嵩山少林寺焼き討ちの際に朝廷軍を手引きしたとされる人物の名前と同じ。設定も、兄弟子を越える事が出来なくて逆恨みする根性曲がり、っていうところは同じ。
タイムスリップしとるやないの(笑)っていうか、歴史が堂々巡り?!(笑)
方大洪の父親の名前が方世玉だったりとか、後で調べて色々判った時には結構笑えたんですけど、最初観た時には全然判ってなかったなあ…
もしかして中国武侠物ではこういう事は周知の事実で、観る人はみんな知ってて、そんで、突っ込み入れながら笑って観る、ってのが正解なのかしらん?

『少林寺』シリーズ以外でもリンチェイは少林拳の伝説の人物をいろいろと演ってますな。
リー・リンチェイの当り役、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズの主人公、黄飛鴻。父は陸阿采の弟子で広東十虎の一人である黄麒英、彼自身は洪煕官の弟子でこれも広東十虎の一人であった鐵橋三の門下生、林福成に師事。南派少林拳の一派、洪家拳の達人。
因に、陸阿采という人は、男性だったか女性だったかはっきりしないそうです。武侠物では男性として描かれる事が多いそうですが…すんげえ美形だった、とか、そういうんだったらちょっと萌…(違うだろ)
『レンジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター』シリーズの主人公、方世玉。彼自身、少林十虎の一人であり、彼の母苗翠花は、少林五老の一人、苗顕の娘であると言われています。
『マスター・オブ・リアル・カンフー/大地無限』の主人公、君寳、後の張三豊は、太極拳の始祖とされ、伝説によると少林寺で修行した後、武當山で武當派の祖となったとされています。
ここでリンチェイが使っている太極拳は、何式なんだろう…陳式太極拳、なのかなあ?
太極拳と言えば、『真・少林寺』で少年リンチェイに太極拳を教えていた老師の所作が堪りませんでした。ほんの僅かの所作なのに、その風格といったらもう。あれぞ、太極拳、と言うものなのでしょうなあ。
posted by radwynn at 17:25| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | +DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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